2011/09/20

命を肯定する 2

大きな台風が過ぎていきました
つい数時間前までの嵐のような天気が信じられないくらいの穏やかな夜です
秋の虫たちの声も聞こえてきます


先日、書かせていただいたブログ「命を肯定する」に色んな方からご感想をいただきました。私の拙い文章から、私がお伝えしたかった以上の思いを汲み取っていただき、また、何度も反芻したくなる心に迫る言葉を返していただきました
このブログを皆さんが大切に読んでくださっていることが伝わり、本当に嬉しく感謝しています


いただいたご感想のなかから、是非皆さんと共有させていただきたいメッセージを小矢真弓さんからいただきました。真弓さんとは、私があすなろ荘の活動をお話させていただいた学習会で出会いをきっかけにご支援・ご助言等いただいています。
今回、真弓さんの言葉を転載させていただくことをご快諾していただきました。
真弓さんもまた大変な子ども時代を生き抜いてこられ、ご自身の力で「生きる意味」を見いだしてきた方です。彼女の放つ言葉にある重み・説得力・強さと優しさに、私はいつも力や勇気をもらっています。
一部の転載となりますがご了承ください


…………………………………………以下転載………………………………………………


親にとっては、子どもが生まれてきてくれた意味を。
子にとっては、自身が生まれてきた意味を。
それぞれが見出しながら、信頼を作り、絆を繋いでいくのだということ。

命の意味は、動物でも人間でも、ただ一点。
脈々と太古から進化しつつ続いてきた「命」そのものを繋ぐこと。

必ずしも親でなくていいのだと思うのです。
人間は社会的な生き物なので、本当に大きな意味で、皆で社会を、
老人から子どもまで支えあって、それぞれができることをしながら生きていけばいい。 

私は、お腹がすいている人を見るのが嫌いで、ご飯を食べさせたくてたまらなくなるので、
お年寄りが常に飴を持ち歩いていて人に配っている理由がわかるようになりました。

生きてるだけで、いいんです。
何かにならなくても、特別な存在じゃなくても。そう感じています。


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真弓さんは「信頼をつくり、絆を繋いでいくこと」が「命」に繋がるのだと伝えてくれました。とてもまっすぐで、力強い言葉です。


真弓さんはじめ、辛く厳しい子ども時代を生き抜いてきた子どもたちには皆、理屈でもキレイ事でもない「命」への強い信念と生きることへの真摯さを感じずにはいられません


それは「命を肯定する」という命題をいつも心のなかに持っているからではないだろうかと感じます
 
生きづらさを抱えさせられ生きている・生きてきた人は誰よりも生きることに一生懸命で必死なのだと思います。
一生懸命に生きることは、それは時にとても苦しいこと


「命を肯定する」簡単なことじゃない  一生をかけての作業かもしれない


でも、今日この夜。
皆が、あなたが、安心して眠りにつけることを 今ここから心より祈っています


今日という日を あなたがちゃんと生きたことを肯定して 安心して休んでください